Who is プリちゃん?

こんにちは!ご覧頂き、ありがとうございます。

アートフォトグラファー/デザイナーの
Prius Shota (プリちゃん)と申します。

このページでは、

・簡単な自己紹介
・今まで歩んできた人生

について、お話したいと思います!

※詳しく知りたい方は、長編の”今まで歩んできた人生”をご覧くださいね。

 

簡単な自己紹介

右の方ではありません。左です!

Prius Shota(プリウス ショウタ)について

・1991年7月18日生まれ、A型、27歳。

・あだ名がプリウスプリちゃん
 →好きな車がプリウスだからという理由から、大学の寮の先輩に名付けられた

・心は女性。(このフレーズを入力することに、とても勇気がいりました。でも、これが私です。)

好きなもの:カフェ、ファッション、インテリア、英語・フランス語、印象派絵画、WEB、音楽、写真、アート、読書、花、等。

苦手なもの:長時間拘束、集団行動、男らしさの強要、数学、スポーツ、むし(蝶はOK)、重たいモノ、力がいること、等。

・仕事は、「アート」、「写真」、「デザイン」、「語学」、「WEB」5つのカテゴリで働くパラレルワーカー
(アートフォトセッション、エディットレッスン、撮影、WEBデザイン・コーディング、通訳翻訳、TOEICコンサル、SNS運用etc.)

『心に灯す光と色彩のパレット』というテーマで創作活動をするアーティスト。
・ 夢は、日本・海外各地で個展を開き、癒しの空間をお届けしていくこと。

 

簡単な経歴

・父、母、妹、弟の5人家族と共に、大阪府で生まれ育つ。(現在は東京在住。)
・7歳の時に英語に出会う
・ポケモンギークな小学校時代
・中学時代、いじめを経験。勉強の挫折、無気力に。
・中学校は卓球部、高校は吹奏楽部でクラリネット。どちらもド下手。
・自分を変えることができた高校時代
・大学進学を機に上京、再び挫折の日々。
・英語の環境を作って語学漬け、バイトだらけの大学生活
・将来に、とても悩み苦しんだ、19歳から22歳
・カフェで生まれた、「うちカフェ」の話
・大学卒業後、精神的に疲れ果て大阪に戻る。回復してからアパレル企業で働く。
・長期留学は学生時代に実現しなかったけど、初海外として一人で約一週間フランスへ
・再び東京へ戻り、婚礼写真撮影のブライダル企業に転職。
・2016年1月から、『心に灯す光と色彩のパレット』とオリジナルのテーマを掲げ、創作活動始める。
・アーティストとして生きたく、アートフォトグラファー・デザイナーPrius Shotaとして精力的に活動中。

 

今まで歩んできた人生

私は、1991年7月18日に大阪府藤井寺市の病院で生まれました。
幼稚園の年中さんの終わりまでは八尾市で過ごし、その後和泉市へ引っ越し。
高校卒業するまでずっと住んでいました。

 

私の家族について

photo by @priusshota

小さな頃から私の希望することに対してとことん否定し続けた、父
優しくてどんな時でも私の見方をしてくれた、母
いつでもアホなことを一緒にできるし、良き相談相手の、妹
年が6つも離れているかわいくて仕方ない、弟

5人家族。
過去には色々ありましたが、なんだかんだで家族です。
せかせかせずゆったりと過ごすスローライフを好む家族です。

 

 

幼少期

photo by @priusshota

私はとてもよく泣く子だったそうで、母を大変困らすこどもでした。
シチューを食べることが大好きで、過去に母が撮影したビデオカメラには、
とても美味しそうに喜びながら食べる自分の姿が映像に残ってました。

幼稚園に行くようになり、自我が芽生えたとき、
それまでミニカーで遊んだり、ヒーロー戦隊者でよく遊んでいたのですが、
いつのまにか、お絵描きやおままごと、ぬいぐるみ、セーラームーンごっこと、
よく女の子がする遊びに切り替わりました。
これは決して親にさせられてではなく、私にとってとても楽しかったからです。
逆に、ある日お父さんと公園でキャッチボールをした時は、
うまく投げることもできないし、そもそも嫌いだから大泣きするほどでした。

 

 

小学生に感じていた心のお話。

photo by @priusshota

晴れてランドセルを背負って小学生になった頃、悩むことがありました。
幼稚園の頃から女の子と遊ぶことが多かったので、
そのまま小学校の登下校も女の子と一緒にしていました。
しかし、やんちゃな男の子からちょっかいを受けたことによって、とてもショックを受けて、
その日以来しぶしぶ男の子と一緒に行くようになりました。傷つきたくなかったからです。
でもやっぱり、スポーツは下手くそだし、話が全く合わず。彼らと仲良くなることはありませんでした。
話があったり仲良くなるのは、性格が優しい女の子か、同じタイプの優しい男の子でした。

 

 

ポケモンゲットして、オタクぶりが開花

photo by @priusshota

小学校入学祝いとして、母方のおばさんから、
赤色のゲームボーイポケット(←知っている人いる!?)と
ポケモンの赤・緑のソフトをプレゼントされました。
そう、この日をきっかけに、私はポケモンギークになったのです。
ゲームの世界は私にとって、好きなものがぎゅっと集まった宝庫。
RPGという物語、音楽、グラフィック、など。
クリエイティブなことが好きなのは、これが始まりだったかもしれません。
学校が終わったらすぐ家に帰って、ゲームを夜遅くまで、
時には寝てる間もこっそりゲームを楽しみました。
当時は木曜日に放送されたアニメもばっちり見て、
ポリゴンショックも経験。
筆記用具やバッグなど、持ち物全てがポケモンだらけのギークぶり。

 

 

7歳の時に、英語との出会い

photo by @priusshota

新しく一緒に通うようになった男の子達が
どうやら”英会話”というものに通っているらしく、
親にお願いして体験入部へ。
そこで初めて”英語”という、言葉に触れました。
今までに聞いたことがない音の響き、そして学校でも見たことがない文字。
それはアルファベットというらしい。
そこで出会った英会話の先生が話す、”英語”というものにすっかり魅了された。
”自分も習ってみたい!”。すぐに母に直談判してみたら、とっても喜んでくれた。
しかし、問題は父でした。私が開口した途端、すぐ父から出た言葉は”大反対。
“(英語を)する必要がない。”ときっぱり。
私はどれだけ必死でお願いしても説得ができず、ひたすら泣くことしかできず。
でも、母が涙ながらに”この子は将来必ず英語を使って仕事をする子だから”と父を説得。
そのおかげで、私は中学二年生まで英会話スクールに通うことができました。
私が現在、英語を使って仕事ができるようにまで成長できたことは、紛れもなく両親のおかげです。

 

 

中学生に感じていた心のお話。

photo by @priusshota

今でもあまり思い出したくない時期。それが中学生の三年間。
入学早々、同じ班の子から”ちょっと変わっている”という理由で、
ちょっかいを受け始め、それが嫌で、クラスにずっと馴染めませんでした。
本当はみんなと仲良くなりたかったけど、
どんな風にコミュニケーションをとったらいいのか全然わからなくて、
嫌なことは嫌だから、感情的になって返してしまう。
心のシャッターをすぐ閉じる性格でした。
そのこともあって、友達と呼べる友達は、本当に指で数える程でした。

中学三年生の後半には、クラスのやんちゃなグループに目をつけられ、
頻繁に靴は隠されるわ、教科書に落書きされるわ、
仲間外れにもされるという、集団いじめに。
向こうは遊びのつもりでも、私にとっては地獄でしかなかった。
卒業する間近まで続いたので、正直辛くて堪らなかった。
授業を受けて勉強することが好きだったのが幸いで、
何とか耐え忍んで一度も休まずに頑張っていました。
唯一、気持ちが楽になれる時間。
それは、新しいことを知れるという、授業を受けて勉強している時。
あとは、家に帰って自分の好きなゲームであったり、
絵を描いたり、音楽を聴いて音の世界に浸ったりでした。
そうすることで、傷ついた心を癒していたのです。

 

 

卓球部に所属、とある出来事。

photo by @priusshota

本当は文科系のクラブがよかったのに、
親から”部活は運動部に!”という圧力を受けて
嫌々卓球部に所属することになりました。
幼い頃から球技が全く苦手でダメでした。
”卓球部ならまだましかな?”と思ったら、
結局引退するまでずっとビリでした笑
はじめはまだ頑張れました。
しかし、中学校3年の春から夏にかけて状況が一変しました。
当時の部長が少し生意気だという、ほんの些細な理由をきっかけに、
チームみんなが部長に対して無視したり、仲間外れを始めたのです。
それがどんどんエスカレートし、部長が可哀想だったので、
私が部長の味方になって一緒に登下校したり、話をよく聴いたりして、
部長の心のわだかまりを取り除いていきました。

しかし、ある下校中にそのいじめチームに見られてしまって以来、
いじめのターゲットは部長から私になりました。
私は相手の表情や行動から、とても敏感に感じるタイプだったので、
違和感を感じるチームの言動に、すぐ気付きました。
いじめは日に日にエスカレート。
おまけに、部長すらも相手にしてくれない。
同じ部員の親友と思っていた子さえも、実はグルだったことが判明。
心はすっかりボロボロになりました。
表面上は明るく振舞っていましたが、
受けたダメージは大きく、帰宅する時はいつも泣いてました。
”どうしてこんな目に逢わなければならないのか”と。
幸い、その年の夏には引退をしたので、まだ傷は少なくて済みました。

 

 

はじめての挫折

photo by @priusshota

心の救いでもあった授業。
”勉強で結果を出して頑張ろう!”と学習をしてましたが、
小学校と比べるとぐっと難しくなり、特に数学は算数の時から苦手。
次第に、授業についていけなくなりました。
英語に関しては、英会話スクールに通っていたものの、
会話がほんの少しできるだけで、文法は対象外でした。
中学では文法の学習がメイン。To不定詞を学習する所から理解できなくなった。
英語は好きなのに、うまく理解できないもどかしさが沢山ありました。
この時期に1番成績が良かったことは、美術、音楽、図工、家庭科でした。
副教科の科目が5教科よりも断然得意だったのです。(体育は除く)

そして、はじめての受験。
私はとても行きたい高校がありました。ですが、何度センター模試を受けてもE判定。
最後の1月に受けた模試でも結果は出せず。はじめての挫折でした。
第一志望には行けないことから、悔しい気持ちをいっぱい味わいました。
勉強でも、部活でも、何もかも上手くいかないことだらけ。
一番表情が暗く、何に対しても無気力であった中学生でした。

 

 

自分が変わろうと決意した、高校時代のお話

photo by @priusshota

暗黒時代だった中学生を卒業してから、
”もう二度とあのような体験はしたくない!!”という
強いアファーメーションを宣言し、
入学早々から自己変革を試みるようになりました。
”どうして友達ができなかったのだろうか?”、
”私の何がダメで、どうしたら改善できるのか”、
一つ一つ過去の体験を振り返りながら、
その都度出来ることをチャレンジしていきました。

”感情を爆発させたら、相手は引いてしまう。
だから、一度相手の言葉をふんわりとキャッチしてみる。
もしかしたら相手は単に仲良くなりたいから、
ちょっかいをかけるのかもしれない。”、
”怒りという感情はマイナスにしかならない。
表にできるだけ出さず、
私が大人になって受け入ればいいんだ。”というように。
自分を変えるって本当に難しい。
全然思ったように変わることができなくて、泣いた日々の方が多かった。
でも、少しずつ着実に成果は出て、友達も一人二人と増えて
”クラスが楽しいな”と、はじめて思うことができた。

 

 

吹奏楽部の思い出

photo by @priusshota

元からずっと文化系の部活がいいなって思っていた。
新入生歓迎イベントで行われた吹奏楽部の演奏。
その演奏中、フルートのソロを聴いて音色に魅了された。
”フルートが吹いてみたい!” と入部。だけど、フルートの人数制限があと一人。
本当は私がフルートパートになる予定だったのに、
一緒に体験入部をしていた1人の子が、急に楽器の希望を変更。
おまけに、大事なパート決めは、”じゃんけん”で決めることに。
結局、負けて泣く泣くフルートパートになれず。
余っていた残りの楽器は、パーカッションかクラリネット。
しばらくの間パーカッション(打楽器)をしていたけど、
チューニング(音合わせ)の時に、自分のマイ楽器を演奏場に持ってくる
他のパートがやっぱりいいなって。
途中から、正式にクラリネットパートになった。

クラリネットはリードという薄い板を挟んで、
それを振動させて音を鳴らす楽器。
リコーダーみたいに息を吹くだけでは音は出ない。
私は、音を出すことにとても大苦戦した。
同期は、みんな遥かに上手で、私はいつも下手くそ。
それでも、毎日練習していたら、音を出せるようになって、
短いメロディから長いフレーズまで吹けるようになった。
それでも全然下手だったけど、楽しいと思えた。
音楽を奏でる喜びがあったから。
最初はフルートじゃないことに嫌悪感を抱いていた。
だけど、日に日にクラリネットの魅力にも気づいた。
低音から高音まで音域が幅広いこと、リズムよりメロディパートが多いこと、
何より音色がとっても温かくて癒される音。他にも沢山あった。

 

photo by @priusshota

吹奏楽部は体育会系の部活と負けないくらいハード。
定期試験の一週間前休みを除いたら、ほぼ休みはなかった。
夏のコンクール、定演(定期演奏会)に向けて、ひたすら練習。
辛かったけど、やりきった時の喜びは大きかった。
また、同期で30人ぐらい、三学年合わせると100人近いひとつの大組織。
人数が増えれば増えるほど問題も沢山起こりました。
でも、今とはなっては一つ一つが思い出。
それだけ毎日が笑いあり涙ありのドラマだった。
友達も中学生の頃はあんなにできなかったのに、沢山できた。
引退するときは、全然状況が真逆だったので嬉しくて泣いた。

 

 

一番努力した日々。

photo by @priusshota

中学生の時に味わった悔しさが心に深く残っていた私は、
高校入学時に”大学受験では絶対1番希望する場所に合格する!”と誓った。
”入学最初の定期試験からが大事!”と思い、
授業が終わった後から部活が始まるまの間と、
部活が終わってから家で寝るまでの間に猛勉強のスタート。
休み時間も基本勉強したり、1番苦手な数学も先生に直接質問。
わからないところを何度も聞きまくった。

部活動をしながらここまで勉強に力を入れることができたのは、
私が通っていた高校では志望する大学を現役で合格した人が当時いなかったから。
だから、普通の努力、ましてや学力が少し弱い私にとって、
”何倍の努力をしなきゃ三年後に合格できない。。!!”という焦りもあったから。
得意な分野はより伸ばせるように、先生に”どうしたら更に良くなるか”とアドバイスを受ける。
休みの日は、自ら書店に足を運ぶことが日課。
参考書だけでなく、モチベーションの上げ方や心理学といった自己啓発本も調達しては熟読。
家族とお出かけであっても、移動中に英単語をひたすら覚える
(お陰で”歩く単語帳”という異名を授かった)。。
とにかく勉強か部活の毎日でした。必死だった。

 

photo by @priusshota

でも、勉強をする事で新しいことを知る喜びがあったし、
近い未来の実現できた姿が楽しみで仕方なかったから頑張れた。
だから、ひたすら自分の可能性だけを信じて、とことんやりきった。
その結果、成績表は数学と体育を除く全ての科目でオール5。
最終学年の内申点は最大5の内、4.8という驚異の数字で終えた。
大学受験も一発で公募推薦で合格を勝ち取ることができた。
こうして結果を出せた時、嬉しかったと同時に自分の中で少し自信がついた。
3年後のなりたい未来を目指して準備をしたら、こんな自分でもやればできるんだと。

 

 

再び挫折だらけの大学生時代

photo by @priusshota

晴れて行きたかった大学に進学できることになった私は、
大阪から東京へはじめて上京した。
今まで関西から抜けたことがなかったため、標準語が新鮮だった。
はじめの一年間は寮生活だったので少し不安があった。
しかし、優しい先輩たちのおかげで、
全国から集まった同期ともすぐに仲良くなることができた。
今も尚、呼ばれている愛称、”プリちゃん”。
元々は”プリウス”から派生したものだけど、この寮生活で生まれた。
高校とは全く違う環境がとっても刺激的。
アルバイトで生計を立てながらの生活は大変だったけれど、
一番勉強がしたかった語学の勉強にも取り組め、結果もそれなりに出すことができた。

photo by @priusshota

しかし、2年目から、度重なる悩みの連続と挫折が続いた。
私は一番海外留学に行きたい一つの夢がありました。
”日本とは違う、海外へ足を運び、肌で文化を感じてみたい”、と。
しかし、大学の学費を奨学金に当て、生活を維持していくためにバイトをしながら送る毎日。
勉強にもっと力を入れていきたいのに、バイト先で体力的・精神的に疲れ果てることから、
思うように勉強できないもどかしさがありました。

 

photo by @priusshota

比べて、周りの友人たちは次から次へと、
アジアやヨーロッパ、オセアニア、アフリカと旅立っていった。
親が金銭的なサポートを沢山していたから or
学費や日々の生活は奨学金に当てることができるからor
バイトで頑張った分を留学費用に当てることができる、といった具合がほとんど。
中には、そこまで留学に対しての想いがない子でさえも、
”裕福だから”という、たったそれだけで行っていた。私はそれがとても悔しかった。
大変な生活を送る中でも、留学を経験した先輩や同期の友達にも沢山質問した。
改善策も色々考えてアクションも起こしたりもした。
だけど、到底厳しかった。”どうしてこんなに。。”、何度嘆いただろう。それは本当に辛かった。

 

だけど、いつまでもそのままでは何も変わらないから、
”じゃ、今いる場所で留学している人達に負けないくらい勉強しよう”と再奮起。
朝、起きたら海外ドラマをつけて、毎日シャドーイング。
移動中は常に英語音声をリスニングか、英語で考える癖を。
恥ずかしさも捨て積極的に英語で、同じ大学の海外からの留学生にコミュニケーション。
TOEIC対策の勉強は、授業でも、図書館でも、家に帰ってからでも。
とにかく英語漬けの環境を自分で作ってみて、その環境にどっぷり浸ってみた。
思ったように実力が全然伸びなくて、発狂したくなることもあったけど、
とにかく出来る限りのベストを尽くした。
結果、学生時代にあいにく留学の夢は叶わなかったけど、TOEICは300点台から875まで伸ばすことができ、
留学していた子と同じくらいの英語力は独学で身につけることはできた。

 

 

バイトのこと

photo by @priusshota

日々のバイトは、私にとって新たな”悩みの泉”だった。
とにかく小さなことに躓いた。
学校や友人とは全く違う人間関係や上下関係、
否定されているかのように感じる指示、コミュニケーション。
少し人と接することは大丈夫になったかな?と思っていたけど、
全然そんなことはなかった。
相手のちょっとした表情の変化、荒々しい声の響き、動作など。
一つ一つの出来事が、心に大きく感じてしまうということもあって、
常に心の中は余裕がなかった。

また私は、決して要領よくできるタイプではなく、
何回も失敗して徐々に身についていくタイプである。
そのことが原因で、勢いを増して神経をすり減らす苦い日々であった。
結局、一つの場所に長く続いたバイトでさえも
1年半ぐらいしか続かなかったし、職も転々とした。
荷物の仕分け、イベント派遣、ホテルのフロント・宴会、個別指導塾の英語講師、
スペイン料理店のホール、美容室の清掃・アシスタント、インテリアの在庫整理。。など、
18歳の時から経験したことは数多く。
失敗だらけで笑ってしまうほどでしたが、その分貴重な体験を積むことができました。
沢山の方々にお世話になりました、良くしていただきました。

 

 

将来の悩み

photo by @priusshota

私の将来の夢は、”これになりたい”というものが本当になかった。
国際関係の仕事も一時期は志したが、
専門的に学習していく中で心の中で違和感を感じ、
いつの間にか目指さなくなった。
それと比べ、周りは中学校の教員や法律家、
研究員、大学院への進学といった具合に、
具体的な進路が決まっている子が多かった。
正直、羨ましかった。
心にずっとあったことは、”いつか世界中の方々と協力しながら働くこと”。
ただそれだけ。
そのような状況もあって、”これになりたい”というものを探すために、
興味のあるバイトを転々としたことは、辛かったけれど結果的に良かった。
唯一、その中で ”これをやってみたい! ”というものがあった。

 

美容師であった。技術さえ身につけることができれば、
海外で働くことができる。
大学生の時から、綺麗でお洒落なものが大好きになったこともあって、
自分の中にある感性を活かすこともできる職業は合っているのではないか。といった具合だ。
”やっと見つかった!”、その喜びが大きかったことは忘れない。
そうと決まれば、すぐ当時通っていた美容師さんにお願いして、
美容室で働かせて頂く形になった。

清掃からアシスタント業務までチャレンジしていく中で、
沢山の先輩方が美容師という職を誇りに思って仕事をしていることも知った。
この美容師という進路に対しては、親と散々揉めた。特に父方の家族とだ。
世間体を特に重要視する父方の家庭では、
”どうして大学に行ってまで美容師に?”という台詞が全く気に食わなかった。
私は、自分が納得するまでは決めたことを変えないので、
その場では反対する人の話は聞きつつも、自分の思いを貫いた。
美容師として頑張っていく予定だったが、
実際にアシスタントも少し経験してみた上で、
”もっと他のことに沢山チャレンジしていきたい”と気持ちが変化した。
だから、最終的に美容師の道には進まないことに決めた。

 

 

“うちカフェ”という、自分で始めた新しいチャレンジ。

うちカフェのオリジナルbook。

こうした紆余曲折の日々を送る中で、私は精神的にとても疲れていた。
大学3年生の2月末に、少し気持ちを休めるために、駅前のカフェに入った。
朝でまだ人が少ないということもあって、とっても安らげることができた。
そこから、”自宅の部屋をもっと落ち着ける空間にできないか?”と考えはじめ、
”じゃ, 部屋をカフェみたいな内装にしたらいいんじゃない?” と思いついた。
お金はそんなにないけれど、工夫次第で落ち着ける空間にできるのでないかと。

 

自宅を”うちカフェ”に。

そこで早速、100円ショップやIKEAなどで安くかつお洒落な雑貨をセレクトして、
部屋をカフェみたいな落ち着ける空間へと総模様替えをした。
中々の変わり具合が面白くて、”それだったら自分が楽しむだけじゃなくて、友達にも楽しんでもらえたら?”と、
今までにできた友達を一人ずつ招待して、今頑張っていることや、将来の夢について。
コーヒーや紅茶を飲みながら語り合う場、”うちカフェ”が誕生した。

 

うちカフェの内装

はじめの一人を招待した時はとても緊張したけれど、思ってのほか高評価だった。
それからというもの、大学の授業やバイト以外の時間は、
全てこの”うちカフェ”という新しい活動に全力投球してみた。やるからには徹底的にしようと。
せっかく時間を割いて家に来てもらうのだから、
少しでも来てよかったなって思ってもらえるアクションも行ってみた。
例えば、色々な色がついたマグカップを12個ぐらい用意して、
ゲストに選んでもらってちょっとした遊び心を楽しんでもらう。
紅茶の種類もアールグレイやダージリンなど、数種類用意。
ちょっとしたサプライズとしてワンプレートランチをお届けしたり、
ゲスト来店数がきりのいい数字(10,20,30など)の時は、オリジナルな記念品を。
そして最後は、Dream Noteと呼ぶノートに、来てくれたゲストの夢を描いてもらう。
一度きりの楽しかった思い出を残すために、
写真を撮影して、その模様をFacebookに簡単な記事にして投稿。。。など。

 

ゲスト一人一人と記念撮影したアルバム。アルバムは計2冊に。

とにかくこれが楽しくて楽しくて。来てくれたゲストも一人一人違うから、毎回学ぶことが多い。
来てくれたゲストの紹介で、初めましての方も何人か来てもらえたり、
就活で東京に来た中高の数少ない友達にも来てもらえたり。毎日が新鮮でした。
最終的に、うちカフェをはじめて約一年少しで、150名の方に来てもらうことができ、
今も忘れはしない新しい原点になりました。

 

 

精神的に疲れ果て、実家へ戻る。

photo by @priusshota

大学を卒業してからというもの、
当時のバイト先での対人関係のことで精神的に参ってしまい、
働きたくても働けない状態に苦しみました。
頑張りたくても頑張れない。
人と接することが怖くなって嫌になった中学生の頃が蘇る。
少しは成長はできたけど、まだまだ私は全然弱かった。
心の中で自分のできなささをとことん責め続けた。
とにかく心がしんどくて、言葉で表現できないほどのその痛みが
誰にも伝わらず、一番辛い時期でした。
親とも些細なことから大喧嘩となり、その後、実家がある大阪に帰ることに。
その頃の日記には、感情が沢山綴られています。

 

お気に入りのカフェ、Cafe MANOにて。

唯一の救いだったことは、母方の祖母と地元にあるカフェの存在でした。
おばあちゃんは、いつどんな時でも私の味方でいてくれて、
話を聞いて今までの人生経験から大切なことを何度も教えてくれました。
頑張れを強要しない。
ただ受け入れて、話を聞いてくれるだけで、どれだけ嬉しかったことか。
もう一つの救いが、地元のカフェ。
大阪に戻ってきて以来、はじめて存在を知ったカフェ。
内装がお洒落なだけでなく、空間が広々としていたため、とにかく癒される。
料理も美味しいし、通ううちに店員さんとも仲良くなれた。
うちカフェをしていた思い出が大きかったということもあって、
通いたくなるカフェの存在は大きかった。
心を落ち着かせるために、何度も通っていたら、
徐々に元気になっていった。

 

この心の救いがあったから、再び仕事にもチャレンジできた。
新しい就職先はすぐに決まって、アパレル企業で働くことに。
髪型はこうじゃなきゃいけない、服装は絶対にスーツでないとダメ、
男性は男性らしく!女性は女性らしく!という、よくある日系企業の規則・文化が、
私にとってはとても受け入れ難いことだったので、
自由な服装で働けてフランクにマネジャーと接することができる
外資系の社風は私にとってピッタリでした。
その分、スピードが強く求められる職場だったので相当苦労しましたが、
周りのメンバーに支えられたお陰様で、また新しい経験を積むことができました。

 

NIkon D5300

この頃、ついに一眼レフを購入。
休みの日には、よく撮影するようになりました。
写真はガラケーを手に入れた時からずっと撮影はしていたけれど、
当時は思い出を記録を残していく程度。
でも、戻ることのない一瞬を残していきたい想いは昔から。

 

「日常で出逢う、小さな美しさと感動を。」のphotobook。風景とお花中心の一冊。

「日常で出逢う、小さな美しさと感動を。」というテーマで、
主に風景写真やお花の写真をメインに撮影。
一人であちこちに出かけ、綺麗な瞬間を見つけて
撮影・編集することが楽しくて楽しくて。
どんなに仕事で大変だったことも
その時だけは忘れられた。
気づけば、ブックも作成してみたり、
インスタも始めてカメラが好きな人とも交流するようになったり。
お気に入りのお洒落なカフェのご好意で、
短い期間写真を展示させてもらうなど。
いつの間にか、写真漬けの毎日になった。

 

Bordeaux , France 2015,6

あとは、念願叶って、ずっと行きたかった初海外に。
芸術の国であるフランスへ一人で約一週間。
やっと叶えることができた、あの時の感動は今でも忘れられない。
勉強し続けた英語と、大学時代に第二言語として勉強していたフランス語も活かしながら。
語学を頑張ってきてよかったって、心の底から感じた。
もちろんカメラも持って、肌で感じた一瞬一瞬を撮影。
滞在先はホテルではなくて、Airbnbで転々と。
ほんの短い期間であったけど、現地で実際に生活を送ることができた。
一期一会で出会ったフランスの方とも、SNSで今も繋がっている。

 

 

東京で再び頑張ることに

photo by @priusshota

大阪に戻ってきてから約2年が経とうとし、
写真を仕事にしてみたいと思うようになった。
転職活動は思ったよりスムーズに決まった。
ブライダルフォトグラファーを選んだ理由は、
これから結婚されるお二人の記念写真を撮影できたら
素敵だなぁと前々から思っていたから。
幸い、幹の部分は守りつつ、枝葉の部分は個人の想いを尊重する
企業と出会えたことがグッドタイミングでした。

もう、この時から『心に灯す光と色彩のパレット』という
創作活動のテーマに取り組み始めた頃でもあったので、
自分の中にある感性をフルに発揮して、写真をお届けしたい気持ちもありました。
また、弟が東京にある大学へ進学するというタイミングも重なり、
一番自分らしく過ごすことができた東京で、もう一度頑張ってみたくなった。
それと同時に、その頃知るようになった
大好きな作風のインスタグラマーの方々も関東在住で
もっと交流できるようになりたいということもあったし、
英語ももっと活かしていきたい、等。
沢山の希望を叶えるために、東京へ再度戻ることに決めた。

 

photo by @priusshota

はじめの一ヶ月間は大阪で、それからは東京へ異動してずっと働いていた。
今まで感覚でしか撮影していなかったので、理論を学べたことは大きかった。
新しくスタジオ撮影に挑戦できたことや、
培ってきた英語力が生かされて、海外からのお客様とのメール対応や
同行通訳もさせて頂くこともでき、充実した日々だった。

しかし、その反面、ある上司から『プリちゃんの写真は売れない写真!』
と罵られて深い心の傷を負うこともあったし、
体力が追いつかず空回りすることも多くて悔しい気持ちも沢山味わった。
それでも頑張り続けることができたのは、
撮影させて頂いたお客様が心から喜んでくださって、
”ありがとう”と感想を伝えてくれた時の、あの喜びがあったこと。
あとは、なんだかんだ不器用で成長スピードが遅い私に対して、
根気よく接してくださった周りのスタッフメンバーのお陰でした。
でも、働いていく中で、心の葛藤が再び起き始めていました。
それは、やっぱり私は組織に所属はしないで、『心に灯す光と色彩のパレット』をテーマに、
アーティストとして生きていきたいと気持ちが強まっていたからでした。

 

 

『心に灯す光と色彩のパレット』が生まれたきっかけ。

私が『心に灯す光と色彩のパレット』とテーマを掲げ、
創作活動を始めた理由は、 ある”感情の体験”がきっかけでした。
絵・写真・音楽・映像といった芸術が小さな頃から大好きだった私。
今までに触れてきたように、これまでお話していきたように、生きていく中で様々なことに沢山悩み、
心苦しい時が何度もありました。
でも、美しくて温かみを感じる作品達に触れると、
なぜかはわからないけれど、
心に感じているダメージがパッと軽くなり、
言葉にできないくらい癒されたのです。

 

わかりやすく状態を伝えるなら、冷たく疲れてしまった心に、
温かくて優しい光がそっと照らされて、ほのかな暖かさを感じているようでした。
その体験から、”私もアーティストとして、作品を見て下さる一人一人に、
穏やかで温かい気持ちや癒しを少しでもお届けしていきたい”と、
大好きな光と色彩で、写真に魔法(エディット)をかけて創作し始めたのです。
“光と色彩で魅せるこのファンタジーな世界観はまるで魔法のように、
一人一人に感動や癒しをお届けすることができるかもしれない。”と。

会社がお休みの日等、時間があれば全て創作活動に当てるほど没頭する日々。
気づかないうちに、創作活動そのものがライフワークに。
”いつの日か、各地で個展を開催して癒しの空間をお届けしていきたい”という大きな目標もできました。
只、会社勤務のままだと、どうしても時間に限りがある。そこが一番のネックでした。

 

 

アーティストとして生きていくために

photo by @takutaki

そして、沢山悩みに悩み、幾つもの紆余曲折を経験し、会社を離れることを決断。
今まで以上に創作活動に費やせる時間を存分に増やすことにしました。
その甲斐もあって、2018年4月の初個展に向けての準備に時間を当てることができ、
キチジョウジギャラリーで開催した初個展では、みんなの協力のお陰様で、
大成功で終えることができた。
ようやく最初の一歩をスタートすることができた。夢のような時間だった。

 

初個展『心に灯す光と色彩のパレット』@キチジョウジギャラリー photo by Erika Masumoto

現在はアートフォトグラファー/デザイナー Prius Shotaとして働きながら生きています。
主に、アートフォトセッションという撮影、フォトエディットレッスン、
アートを持ち運べるスマートフォンケースをデザインして、オンライン販売などです。写真だけに限らず、個展の場合は空間装飾も行います。
今まだそれだけじゃ大変なので、通訳・翻訳、TOEICコンサル、WEBデザインコーディング、イベント企画・運営、企業様向けSNS運用など、
今までに培ってきたスキルを活かしながら、様々なお仕事を掛け持ちしています。
最初は、どうなるのか不安で仕方ないことだらけだったけれど、
機会があるごとに、運良く、人から助けられています。
本当に感謝でしかないです。

ゆくゆくは創作活動一本で生活しながら、
各地で個展を開催して多くの方々に癒しの空間をお届けしていくこと。
一歩足を踏み入れたら、抱えているものを少し忘れられる、
心が癒されるような、そんな期間限定の空間をお届けしていきたい。
それが、今の夢であり目標です。次回は京都で開催して、関西の方々にお届けする予定です。ゆくゆくは海外でも同じテーマでしてみたい。

 

要領がとっても悪くて、遠回りにしか見えない生き方。無謀な夢物語に、
きっと読んでいる人の中には、陰でクスクスと笑う人もいるでしょう。
でも、私はそれでも頑張ってみたい。

 

photo by @priusshota

アーティストは常に孤独。よかったことは、一人で活動することがまだ苦ではないこと。
成し遂げたいことを達成したいのなら、その為の努力は惜しみません。
SNSやWEB,書籍などでとことん情報収集するし、会いたい人には機会を作って会うようにするし、
スキルが必要ならひとまず調べて身につけるようにする。
努力が必ず報われるかはわからないけれど、できる限りのことに挑戦してみる。
将来、後悔だけはしたくないから。

 

想像以上にとっても難しいです。様々な葛藤があります。
でも、達成できるために日々悩みながら奮闘中です。
時には、弱音を吐くことも当然あります。
もしその時に私と遭遇したら、”あぁ、プリちゃんは頑張っているんだな”って、
どうか温かい目で見守って頂ければ嬉しいです。
吐いた後は目標を達成できるまでベストを尽くす私だからです。

 

photo by @priusshota

ほんとうに昔から弱すぎる私なので、今も沢山悩むことは変わりません。
ですが、応援してくださる方々に支えらているお陰様で、
前向きに頑張ることができて、一歩ずつ夢や目標に近づいています。
実際にすでに叶っていることもあります。これは本当に凄いこと。

 

とにかく、進む道がコロコロ変わり続けたし、
もしかしたらこの先も変わっていくかもしれない。
めちゃくちゃ不器用な人生を歩んでいるなと私でも思います。
だけど、そのように生きてきたからこそ今の私があるとも思う。

 

その都度、一度チャレンジしてみることで、自分に合っているのか、
本当に続けていきたいことなのかどうかを、肌感覚で確かめることができるから。

 

すぐに整合性はなかったとしても、どこかで点と点が線になっていくと思うから。
体験してきたことしか人に話すことはできないし。何一つ無駄じゃない。

photo by Kano Hayasaka
今度は右です

そのように捉えてみると、
今までに降り注いだ嫌なことも、苦しかったあの日も、
全てに意味があるのかな。と私は思う。
そうでありたいと、信じています。

 

これからも一つ一つ叶えていけるように、
休むときはしっかり休みながら、
今できることに、ベストを尽くしたい。

 

ここまでの拙い長文を読んで頂いて、本当にありがとうございました!
読んでくれた方にとって、何か少しでもプラスになれば幸いです!

 

こんな私ですが、仲良くしてもらえると嬉しいです。

どうぞよろしくお願い致します☺️♬

 

プリちゃん

 

Prius Shota (プリちゃん)
Art Photographer / Designer

 

東京在住のアートフォトグラファー・

デザイナー。
写真と語学が大好きな27歳。
好奇心旺盛でフレンドリーな性格。

 

『心に灯す光と色彩のパレット』

写真創作活動オリジナルテーマ。(since 2016)
淡い光と豊かな色彩で描く幻想的な作品を通して、
穏やかな気持ちや癒し、日常にアートをお届け。
吉祥寺にて初個展開催、ロンドンの展示会にも出展経験あり。
お仕事依頼に関しては、“CONTACT+ABOUT ME”から。

 

 

★プリちゃんの撮影はこちらから!

 

 

★プリちゃんのInstagram、フォローしてね!

 

 

★プリちゃんと個別で連絡とりたい方

IDは @tlg0780j で検索!

 

Loading Facebook Comments ...

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です